HYBRIDS_vol17
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5塩飽勤番所は、塩飽が自治領だった時代の政所。当然、塩飽大工の手による建造物だ。開館時間は9:00~16:00。月曜日は休館。1897(明治30)年に設立された「塩飽工業補習学校」の生徒が建築実習として再建した尾上神社。補習学校の目的は、優秀な大工の育成だった。塩飽本島案内人の三宅邦夫さん。本島のガイドを務める傍ら、塩飽の歴史を遡り、紐解いてまとめる研究を進めている。れた技術を生かす場を失い、家大工に生活の道を求めていったのである。1872(明治5)年につくられた壬申戸籍では、2300戸の島民に対して大工が707戸。実に3軒に1軒は大工という状況だったのだから驚きである。 笠島まち並保存地区の海と丘陵に囲まれた集落には、狭い道路が網の目のように走る。あるものは湾曲し、またあるものは丁字型や十字型に交差し、見通しが効きにくい。通りに面して、格子構えに虫籠窓を設けたツシ2階建の町屋形式の住宅が並び、中世以来の町並みが美しく保存されている。鬼瓦、こて絵、漆喰塗りの白壁、なまこ壁、持ちおくり。150年以上の歳月を経ても色褪せない細工の数々に、塩飽大工の高い技術が垣間見える、建物は江戸時代のものが13棟、明治時代のものが20棟ほど残っているが、大正・昭和初期に建てられた建物も伝統的な構造と意匠を受け継ぎ、豊かな自然環境の中で存在感を放っている。 その笠島地区のほど近くに、1798(寛政10)年に建築された塩飽勤番所もある。敷地内にあるのは、入母屋造り・本瓦葺き(むくり型)の主屋と、朱印庫、番人部屋などの付属建物。主屋は、塩飽の歴史資料館として公開されており、信長、秀吉、家康からの朱印状や、咸臨丸に乗船した塩飽水夫たちが米国から持ち帰った品々などが展示されている。この勤番所の所有者は、今も塩飽人名650人である。にんみょうかんりんまる※※ツシ2階とは、中2階のこと。 中2階で建物を低くし、潮風の影響を防いだ。

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